難病やその他病気との共生

意識を「1日でも早い治療と回復」に-李さん(第二回)

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第一では、これまでのキャリアに関する考え方について伺いました。第二回では、そこから舌がんが発覚してからの行動について、さらに伺っていきます。


それまで順調に仕事を行っていたのだろうと感じましたが、舌の件で初めて病院にかかったのは、いつ、どんなきっかけだったのでしょうか?


2020年頭に、舌の違和感を覚えたので、すぐに近所の一般歯科にかかりました。
が、恐らくその先生も口腔がんについては専門外だったので、その時点で舌がんの可能性は指摘されず……。
一年ぐらいかけて徐々に違和感が大きくなり、ついに日常生活にも少し支障をきたすぐらいの痛みが出るようになりました。
2021年頭の社内ミーティングで、自身の近況報告としてそのことをメンバーに共有していたら、たまたまある40代後半のメンバーから舌がんの可能性を指摘されて。
「なにそれ聞いたことない」と思いながら急いで病名をググったら、自分の症状と完全に一致していて。
舌がんは、一般歯科ではなく口腔外科の領域になるという情報も入手したので、その日のうちに、近所にいる口腔外科勤務経験のある歯医者さんを探して、診察してもらいました。


さすがの行動力ですね!!そこから、すぐに診断が下りたのでしょうか?


一番最初に口腔外科勤務経験のある歯医者さんに診てもらってから、大体2週間ぐらいかかりましたかね。
「確かにこれは悪性の疑いがあるね」というので、すぐに都内の大学病院に繋いでもらいました。
で、大学病院の初診でも、「これは悪性の可能性が高い」というので、すぐに細胞診・MRI・CT・PET検査の日程調整が行われました。
ただ、生憎コロナ禍で大学病院での予約が取りにくい時期だったので、結局診断がおりるまで2週間程度を要した感じです。


その時、相当ショックだったのではないかと思いますが、どのように気持ちを整理しましたか?


それが、一番最初に同僚に可能性を指摘されて、病名をググった時点で、自分の中には、「舌がんに違いない」と確信めいたものがあったんですよね。
で、検査で通院する度にお医者さんからも「悪性の可能性が否定できない」と言われていたので、宣告を受けたその場では、既にある程度覚悟が決まっていました。
ただ、ひとつ想定外だったのは、既にステージⅢであったことです。
自分の中では、「まあまだ若いし、舌がんだったとしても、初期の段階だろう」と勝手に思っていたので(笑)
「舌の半切除と太ももの組織を用いた再建、念の為に首の左側のリンパ郭清も行って、顎の骨も削ります」という手術内容の説明を受けながら、「めちゃくちゃ大掛かりじゃん」と動揺しました。
ただ、基本的に楽観的な性格なので、「まあ頑張るしかない」と思って、自分の意識を1日でも早い治療と回復に向けていましたね。


そのように気持ちを切り替えられたとは、本当にさすがです。その後、どんな行動に移したのですか?


これは話すととっても長くなるかつ熱が入るので、詳細については是非私が公開した闘病記を読んでいただきたいです!(笑)
ここでは概要だけお伝えすると、宣告を受けた翌日から、「どの病院で手術を受けるべきか」というのを、友人知人に頼りながら必死に調べ始めました。
ただ、沢山の方とやり取りさせてもらう中で、「実は手術以外でも治す方法がある」という情報が入ってきました。
そこからは、「そもそも手術を受けるべきかどうか」というのを検討し始めましたね。
がんの診断をしてくださったところを含め、主治医の先生を決めるまでに、病院は合計6軒回っています。都内に限らず、大阪や伊勢にも遠征しました(笑)
そうこうして、がんの宣告を受けたちょうど2週間後に、今回は手術は受けずに、超選択的動注化学療法という、放射線と抗がん剤を組み合わせた治療法を受けることを決めました。
実は、お会いした殆どの先生に、「ステージⅢで根絶を目指すなら手術がいい」と言われていたので、自分の中では相当勇気のいる決断でした。
間違いなく、人生で一番難しい選択でしたね。

※李さんの闘病記はこちら


本当に、一世一代の決断ですね……。治療についてはどのくらいの期間がかかったのですか?


2月中旬から4月末まで通院と入院を繰り返したので、治療自体は合計2ヶ月半かかりましたね。
ただ、治療で相当な体力を奪われたので、退院後も、約3ヶ月間、7月末まで自宅療養を行っていました。


それは本当にお疲れ様でした。無事、治療が完了して何よりです。

第三回では、治療を終えた現在の生活について伺ってまいります!

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