障害との共生

私の重要な構成要素ではあるけど、全てではない-山下さん(第一回)

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文部科学省による「トビタテ!留学JAPAN 日本代表プログラム」という留学支援制度を活用して海外生活を経験した仲間として、山下さんに知り合いました。ご自身も片耳が不自由でありつつ、特別支援教育を大学で勉強し、現在は福祉の領域で活躍しています。

全二回でお送りします!

スウェーデンでの留学を通じて北欧の文化を学んできた山下さんに、これまでの生活やキャリア観、北欧への考え方について伺いました!


まずは自己紹介をお願いします!


山下志保です。現在24歳で、仕事は「盲ろう」の方への福祉・教育的な支援を行っています。
「盲ろう」というのは、視覚障害と聴覚障害を併せ持つ方のことです。ヘレンケラーのような方といったほうがイメージしやすいかもしれません。
私は幼い頃に右耳が聞こえなくなり、今は全く聞こえておりません。たまに耳鳴りがなることもありますが、生活するうえで支障をきたすほどの耳鳴りではありません。静かになった際に「あれ?なんかざわざわするなぁ」ぐらいです。


右耳に関して、初めて病院にかかったのはいつですか?


小学5年生の頃におたふく風邪にかかりました。その時に、おたふく風邪にかかった1000人に1人が発症すると言われている「ムンプス難聴」になったのが最初です。
実は、聞こえなくなって数日は、右耳が聞こえないということに気付いていなかったんです。
でも、数日後に「あれ?右耳が聞こえない?」と違和感を感じ、地元の耳鼻咽喉科を受診しました。
診察後に病院の先生から「今すぐに大学病院に行ってください」と言われ、その日のうちに離れたところにある大学病院で聴力検査や診察を行ったところ、「ムンプス難聴」と診断されました。


その後、継続的に通院などしていますか?


その後は特に通院などはしていませんが、何度か聴力検査を行っています。
例えば大学入試の際には、試験監督の声が聞こえやすい位置に座るために聴力検査を行い、その結果を提出した上で席を配慮してもらったりしました。


なるほどー!確かに、大きな会場での試験などにおいては、座席の配慮は重要ですね。
片耳が聴こえないという症状によって、普段の生活においても悩んだ経験はありますか??


右耳が聞こえないため、音の方向が分からないということがあります。名前を呼ばれてもどこから呼ばれているのかわからずキョロキョロしてしまうんですよね。また、気配も感じにくいので、右後ろから自転車や車が来ても気付かず何度か危ない思いをしました。
音の取捨選択も苦手なので、居酒屋などのざわざわした空間では、話し相手の声などの聴きたい音を上手く拾えなかったりします。


対策として、何か工夫している点などはありますか?


基本的には1人でいるときも他の人といるときも、静かな場所にいることが多いと思います。
友達とカフェなどで深い話をするときは、そのお店の雰囲気などとともに、あまり騒がしくない場所かどうかという観点から選ぶようにしています。
あとは、人と話したりするときは、左耳で聞くために、その人の右側にいるようには心がけています。
いろいろと小さく工夫している部分はありますが、負担は特に感じていないですね。


いろいろと工夫があるのですね!となると、周りの友達には伝えていたのでしょうか?


大学生になるまでは周りの友達などには隠していました。なので、「名前を呼んだのになんで反応しないの?無視してるの?」というような感じで何度も誤解され、その時は特につらい思いをしました。
誤解されることよりも、右耳が聞こえないことが知られ、いじめられるのではないかと怖かったので言えなかったんですよね。


確かに、思春期の頃はなかなか伝えづらいですよね。
そのような経験については、どのように克服しましたか??


中学・高校の頃は基本的には周りの人に隠していたのですが、それでも「この人には誤解されたくない」と思った友人だけには話すようにしていました。
また、大学では特別支援教育を専攻していたこともあり、周囲の人が障害に関心のある人たちだったので、すぐに右耳が聞こえないことを打ち明けられたのは良かったです。それから会う人には、常に自己紹介とともに右耳が聞こえないことを伝えていました。


伝えるためには、周りの受け入れる体制が重要なんですね。今も自己紹介では伝えるようにしているんでしょうか?


実は、特に意識していなかったのですが、大学生になって数年経ってからは、初対面の相手にも右耳が聞こえないことを伝えていないことに気づいたんです。ちょうどスウェーデンに留学していたころです。
でもそれは周りの人を信用していないからということではなく、「右耳が聞こえないことは私を構成する一つの要素に過ぎない」と気付いたからです。
「私の重要な構成要素ではあるけど、全てではない。」と思うようになり、それからは配慮が必要な時にだけ伝えるようになりました。


その考え方の変化は大きいですね!障害や難病も個性の1つとして考えられるようになれば、周囲とも、より接しやすくなるのかもしれませんね。

第二回では、スウェーデンにおいて学んだことや、今後やりたいことについて、深く伺っていきます!

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